2011年3月16日水曜日

浦宿・門前の様子

小・中で同じ学校に通った友人が、自ら「ブログに載せてほしい」と原稿を書いてくれました。

比較的被害が少なかったと言われる門前・浦宿の情報です。
友人は現在進学のため県外に住んでいますが、地震発生当時の様子をお母さんに聞いてまとめたそうです。

私の友人の中には、浦宿の工場で働いていた兄が無事だった、津波の後は比較的被害の少ない浦宿の親戚の家にいる、と実際に家族と連絡を取れた人もいます。
twitterで地震発生後もセブンイレブンは営業していたという情報も流れていました。

転載します。

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うちは、女川町浦宿門前の女川高校むかえcocoストアの向かって左の坂を少しあがったところに位置しています。国道からかぞえて坂の下から二段目の高さです。私の母は、地震当時家の二階にいました。

地震が収まると家のしたの国道には車で避難してきた人たちの渋滞。そして歩いて避難している人たちがいたそうです。うちは女川湾から歩いておおよそ歩いて30分程度の所に位置しているので普段であれば津波の心配はありません。しかし母はその国道にいた人たちが流されていくのを見たそうです。車から急いで逃げた人たちは無事だったそうですが。

我が家のお隣、坂のすぐそばの家までがれきと水はやってきたそうです。坂の一番上(借家が並ぶあたり)まではこなかったようです。
レストランすえひろ前の坂からもがれきはやってきたようで、墓地の手前少しあたりまできたそうです。
おそらく国道は浦宿駅方面まで水浸でしょう。浦宿駅は水没?とういう話も。(この辺は詳しくありません)
女川第一小学校、成幸団地などは無事だそうです。

ご近所の状況は国道の面した家は一階が浸水。倉庫など作りが甘い建物は流されたかもしれません。また、地震でひびが入った家も。しかし、門前地区のある程度上の方に位置していた家にいてなくなった方はいないようです。

地震の夜は、照源寺でみんなで過ごし、食事もとれたようです。
照源寺には飲料用のわき水があるため水には不自由していないそうです。
その後水は引き、家に帰ることができたようです。
また、田舎故にガスがプロパンのボンベが各家庭にあるため、地震でボンベが壊れていない家はまだガスも使えているようでした。また、第一小学校が避難所になっている模様。後はあくまで噂ですが3小の子供たちも一小に避難してきているとの事。

水が引き歩けるようになったので母が第四保育所周辺までいってみたところ、あの周辺の家も比較的無事らしいです。なので浦宿地区は被害は少ないのではないのでしょうか?この方面から総合体育館にいる親戚や知り合いのところに物資を届けているようです。

自衛隊がきたのは二日目以降。母はようやく石巻の状況を自衛隊の方から聞けたそうです。道も彼らががれきをどかしていったので通行可能状態。
その後母は車で、稲井を通り石巻へ。女川->沢田->稲井->新しくできたトンネル->蛇田方面のルートは生きているのようです。そのとき見たその辺りの家も残っていたそうです。

私の母の主観も多いですが、おそらく浦宿近辺の情報はテレビなどで報道されませんから、この情報が誰かの役に立てばいいかとおもって書かせていただきました。

我が家は非常に幸運でした。家族も生きています。家もなんとか残っています。

しかし、なくなられた方や行方不明の方はまだたくさんいらっしゃいます。私もまだ友人と連絡がとれていません。ニュースの映像を見ると胸が張り裂けそうです。涙が出てきます。同級生の家は残っていないでしょう。女川町は大学進学で家をでるまで過ごした大事な故郷です。一人でも多くの方が助かる事を祈っています。


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