というページを見つけました。
震災が起きた翌日の3月12日に女川に入った方がツイートされたものをまとめたようです。
今後もこのときの女川を心に留めておきたいので、リンクを貼っておきます。
今やがれきがキレイに片付けられた町の様子やそのときの混乱ぶりが克明に伝わってきます。
http://ckbook.client.jp/onagawa.html
2011年8月21日日曜日
7:3の悲喜交々
はぁ。
やっとおばあちゃん発見伝を書き終えました。
twitterで「よかったとは思うけどなんだか悲しい」とつぶやきましたが、あの日から5ヵ月も経った今見つかって、本当ならうれしいんです。
9月にお母さんと合同のお葬式をする予定だったので、その前に帰ってこれてよかったと思います。
ただ悲しくて悔しいのは、私がおばあちゃんを見つけられなかったこと。
女川町で身元不明のご遺体や遺留品の写真は全部見たのに、気づけませんでした。
お母さんより早い3月に発見されていたなんて。
てっきり車の中だろうと。
そのまま海に流されたんだろうと思っていました。
お母さんらしき人が安置所にいるとわかったときは、何がなんでも会いたいと思っていたのに。
おばあちゃんはそれより前に私たちが見つけてくれるのを待っていたのに、ほんのすぐそばまでやってきていたのに、
私たちは気づかず、、、、、
おばあちゃんが発見された日はなんと私も女川にいました。
あのとき気づいていればこんなにおばあちゃんを待たせることもなかったし、一目会うこともできたのに。
ありがたいことではあるんですが、おばあちゃんの火葬は4月中旬に東京で行われたみたいです。
お骨になっても家族が判明する今の科学技術はすごい。
私が生まれたとき彼女以外の祖父母は他界していたので、私にとってこのおばあちゃんが唯一の“祖父母”でした。
私が女川を出るまでずっと一緒に暮らしてきたので、両親と同じくらい近い存在です。
お母さんは地震が来たとき、真っ先におばあちゃんを車に乗せて避難したそうな。
その途中で津波に巻き込まれたみたいです。
やっとおばあちゃん発見伝を書き終えました。
twitterで「よかったとは思うけどなんだか悲しい」とつぶやきましたが、あの日から5ヵ月も経った今見つかって、本当ならうれしいんです。
9月にお母さんと合同のお葬式をする予定だったので、その前に帰ってこれてよかったと思います。
ただ悲しくて悔しいのは、私がおばあちゃんを見つけられなかったこと。
女川町で身元不明のご遺体や遺留品の写真は全部見たのに、気づけませんでした。
お母さんより早い3月に発見されていたなんて。
てっきり車の中だろうと。
そのまま海に流されたんだろうと思っていました。
お母さんらしき人が安置所にいるとわかったときは、何がなんでも会いたいと思っていたのに。
おばあちゃんはそれより前に私たちが見つけてくれるのを待っていたのに、ほんのすぐそばまでやってきていたのに、
私たちは気づかず、、、、、
おばあちゃんが発見された日はなんと私も女川にいました。
あのとき気づいていればこんなにおばあちゃんを待たせることもなかったし、一目会うこともできたのに。
ありがたいことではあるんですが、おばあちゃんの火葬は4月中旬に東京で行われたみたいです。
お骨になっても家族が判明する今の科学技術はすごい。
このおばあちゃんは母方の祖母です。
私が生まれたとき彼女以外の祖父母は他界していたので、私にとってこのおばあちゃんが唯一の“祖父母”でした。
私が女川を出るまでずっと一緒に暮らしてきたので、両親と同じくらい近い存在です。
お母さんは地震が来たとき、真っ先におばあちゃんを車に乗せて避難したそうな。
その途中で津波に巻き込まれたみたいです。
今おばあちゃんのお骨はお母さんがいるお寺に預かってもらっています。
やっと隣に並ぶことができてよかったね。
こんなに遅くなってごめんね。
なんと5ヵ月経って・・・
おひさしぶりです。
卒論や学校の課題に追われる中、ちゃっかりBBQしたり北海道旅行に行ったりと夏らしいこともやってる今日この頃です。
本題。
3月11日以降行方不明だったおばあちゃんが見つかりました!
長くなりそうなので、今回は行方不明の家族を探していらっしゃる方々のために心情は省いて事実を中心に書きます。
8月17日、私たちが提出したDNAに近い人物がいると警察から連絡が入りました。
そこで女川在住の父が慰留品(身に着けていた服など)や見つかったときの写真を見に行き、次の日に叔父夫婦(祖母の長男)と石巻にも確認しに行き、祖母だと判明したそうです。
おばあちゃんは女川で津波に巻き込まれたので女川運動公園の陸上競技場に話を聞きに行っていたのですが、現在、石巻地区の遺体確認に関する情報は、石巻のふれあいパークというところに集まっているそうです。
例えば父によると、女川より多くの写真を見ることができたとか。
母の衣服の写真を初めて見た時は黒っぽいジーンズが泥でカーキに見えるほどでしたが、未だ行方不明の方の遺留品はとてもきれいに洗い、新しく写真を撮り直してあるようです。
女川でもそのような写真はまだ見れるようですが、詳しいことを知りたかったら石巻へ、ということなのでしょうか。
母のときは歯の治療痕が決め手でしたが、数日遅れて母の姉弟や私のDNAが一致したと連絡がきました。
これは写真で母らしき人を確認していたので(実際母だったんですが)、その方に合わせて歯やDNAを調べてもらうことができ、早めに結果がわかったのだと思います。
なんと祖母の体も3月に見つかっていました。
なのに私たちが気づかなかった。
女川だけでも何百ものご遺体とその行方不明者家族のDNAをマッチングするんだから、そりゃ時間がかかるわけですね。
一緒に住んでいたはずの父が今回祖母の写真を見ても、はっきり本人だとはわからなかったそうです。
津波で命を落とした方は女川で約1000人。人口の約1割。
見つかった人は、行方不明者も合わせて539人。(8/11時点)
半分近くの人がまだ発見されていないことになります。
ここまできたらもう祖母は海の中で、二度と帰って来れないんだろうと思っていました。
でも8月になって発見されている方もいるし、うちのケースみたいに見逃してたってこともあります。
献血をしたことがある方でその血液がまだ保存されていれば、その血をDNA鑑定に用いることもできるそうです。
本人のDNAだから合致率は100%です。
母は通院していた歯科が残っていたし、祖母にはDNAを提供できる子ども(私のおじ・おば)が3人もいました。
不幸中の幸いだったと思います。
どうか、できるだけ多くの方がご家族の元に帰れますように・・・
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