2011年8月21日日曜日

7:3の悲喜交々

はぁ。
やっとおばあちゃん発見伝を書き終えました。


twitterで「よかったとは思うけどなんだか悲しい」とつぶやきましたが、あの日から5ヵ月も経った今見つかって、本当ならうれしいんです。
9月にお母さんと合同のお葬式をする予定だったので、その前に帰ってこれてよかったと思います。


ただ悲しくて悔しいのは、私がおばあちゃんを見つけられなかったこと。


女川町で身元不明のご遺体や遺留品の写真は全部見たのに、気づけませんでした。
お母さんより早い3月に発見されていたなんて。

てっきり車の中だろうと。
そのまま海に流されたんだろうと思っていました。

お母さんらしき人が安置所にいるとわかったときは、何がなんでも会いたいと思っていたのに。
おばあちゃんはそれより前に私たちが見つけてくれるのを待っていたのに、ほんのすぐそばまでやってきていたのに、
私たちは気づかず、、、、、

おばあちゃんが発見された日はなんと私も女川にいました。
あのとき気づいていればこんなにおばあちゃんを待たせることもなかったし、一目会うこともできたのに。

ありがたいことではあるんですが、おばあちゃんの火葬は4月中旬に東京で行われたみたいです。

お骨になっても家族が判明する今の科学技術はすごい。



このおばあちゃんは母方の祖母です。

私が生まれたとき彼女以外の祖父母は他界していたので、私にとってこのおばあちゃんが唯一の“祖父母”でした。
私が女川を出るまでずっと一緒に暮らしてきたので、両親と同じくらい近い存在です。


お母さんは地震が来たとき、真っ先におばあちゃんを車に乗せて避難したそうな。
その途中で津波に巻き込まれたみたいです。

今おばあちゃんのお骨はお母さんがいるお寺に預かってもらっています。

やっと隣に並ぶことができてよかったね。
こんなに遅くなってごめんね。


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