今日の日記は上手く書けるかわかりません。
乱文ですみません。
母が見つかりました。
正しく言うと、お母さんじゃないかと思っていた人が母本人だと判明しました。
根拠は歯型で、32本中31本合致したそうです。
昨日はおばあちゃんと、
今日は私と弟が幼いときという設定で夢に出てきてくれていました。
夢の中では幸せなのに、目が覚めて夢だとわかるとむなしいような悲しいような気持ちになって、とりあえず涙が出てきました。
今考えたら、学校も用事もない日に出てきてくれるなんてさすがお母さんです。
学校サボるなよ、遅刻すんなよ、ってことなのかも。
3月くらいの夢では、「今までどこにいたの?」という私の言葉に何も言わず、あいまいにごまかしていました。
お母さんについては今まで何度も記事を書こうと思っていたのですが、上手くまとまらなくて下書きを書いては消すことを繰り返していました。
今まで母と祖母は行方不明、とだけ言っていましたが、実は前回帰省した4/28にお母さんらしき人に対面しました。
他の人はちがうんじゃないかと言っていたけど、あんなにそっくりな人は見たことがありません。
そのときはかなり似ていると思ったのですが、はっきりお母さんだと断定できなかったことが
悔しくて申し訳なくて。
私の中のお母さんにも、対面したその方にも。
でもお母さんである可能性がある以上、絶対に会いたいと思っていたので。
そのとき会っておいて本当によかった。
それから毎日その顔を思い出していました。
お母さんが見つかった4/7は私の誕生日です。
いつもならしないけど、今年はケーキを食べる前に願い事をしました。
帰省時、女川の熊野神社を通りかかった時もお願いしました。
今思えば、
おにぎり大使でオーストラリアに行けたときも、
地元でなく仙台の高校を選んだ時も、
浪人をお願いした時も、
留学を許してもらったときも、
節目節目の大事なとき、母はいつだって私の味方で、私の希望を尊重してくれました。
叶った今だから言うけど、
今回の願い事は「お母さんにもう一度会いたい」です。
さすがうちのお母さんでした。
できすぎ君です。
さすが母です。
神がかり的なものはあんまり信じていないのですが、今回は運命を感じずにはいられません。
いや、母の力なのかな。
この24年間で一番強く願ったことが叶いました。
今は一人でこの気持ちをかみしめたいと思います。
次回のブログにまた詳しく書きます。
2011年5月15日日曜日
2011年5月10日火曜日
25年目
.
今回の大津波発生で思い出の品々が流されてしまったので、親戚に写真を分けてもらいました。
そしたら中からこんな物が・・・
お、お、おかん!!
20代!!!
というか今日結婚記念日!!
数えたら今年25年目だったんですね。
今までそんな話聞いたことなかったし、気になったこともなかった。
きっと母の日と結婚記念日がかぶってたこともあったんだろうなー。
もったいないことしてたな。
直接言えなくて残念だけど、父ちゃん、母ちゃん、結婚25年おめでとう。
こんなの言ったのも初めてだなぁ。。。
.
今回の大津波発生で思い出の品々が流されてしまったので、親戚に写真を分けてもらいました。
そしたら中からこんな物が・・・
お、お、おかん!!
20代!!!
というか今日結婚記念日!!
数えたら今年25年目だったんですね。
今までそんな話聞いたことなかったし、気になったこともなかった。
きっと母の日と結婚記念日がかぶってたこともあったんだろうなー。
もったいないことしてたな。
直接言えなくて残念だけど、父ちゃん、母ちゃん、結婚25年おめでとう。
こんなの言ったのも初めてだなぁ。。。
.
2011年5月6日金曜日
お宝発掘!!
.
GWももう後半ですね。
このお休みを利用して、東京に住む叔母(母の妹)とうちの弟が女川に帰省したのですが、こんなものを見つけたそうです。
食器や網などの・・・幸楽グッズ!!!
厨房で使ってたレードル!!!
幸楽とは家族で経営しているうちの焼肉屋のことです。
女川の人が知ってるのはこっちの姿かな?
おじいちゃんが創業し、父が2代目でしたが、この間の津波にやられてしまいました。
(ちなみにこのおじいちゃんはお母さん側のおじいちゃんで、うちの父はマスオさんです。)
でも女川の住宅は7割が被害を受けたそうなので、海まで徒歩1分の我が家が流されてしまったのは無理もないことだと思います。
3/11の震災緊急特番で女川は映りませんでしたが、他の町の壊滅具合を目にして、「あー、きっとうちもないな。」とあきらめていました。
(だから気持ちとしては家より家族の安否が早く知りたくて・・・)
裏に自宅もあったのですが、きれいさっぱりありません。
まぁ仕方ない。
女川は、海側は更地のように物がなく、海から離れるにつれて瓦礫が多くなってきます。
がれきの山と化した家々を見た父は「うちは残ってなくてよかったなぁ・・・」と言ってまし
た。
確かに、物が残っているだけ余計に辛そうです。
私は3/11以降、2回帰省しているのですが、見つかったのは焼肉用の網だけ。
持って帰れるような小さいものは何もなかったのですが、今回叔母と弟がこれだけの物を発掘したようで、なんだか嬉しい半分悔しい半分。笑
カーネーションは行方不明の祖母と母にでしょうね。
ずるい。うちもやりたかったww
写真のおみやげを分けてもらったからよしとするか。
ところで、ご近所にある写真屋のお姉ちゃんがこのとき撮ってくれた写真が、地元サッカークラブ「コバルトーレ女川」の応援サイトに載りました!
http://onagawasupporters.com/2011/05/05/inspiration-for-the-future/
inspiration for the future!というタイトルがつけられています^^
実はこの写真をfacebookにもアップしたんですが、友達が「希望にあふれてるね」ってコメントをくれたんです。
実際、家も車も職場も友人も家族をも同時に失った人たちが辛くないはずはないけど、みんながこの2ヵ月下を向いて過ごしてきたわけじゃない。
そんなことをこの1枚から感じてくれたのかなと思ってうれしくなりました。
瓦礫の中(しかも全壊流失した自宅跡!)に立っている絵のはずなんだけど、私もこれは好き。
さすがカメラマンが撮ると違うな^^
* * * * * * * * * * * * * *
さて、私の学校は明日から新学期なので、自分にとっては今日が長い長いお休みの最終日です。
(1/19から春休みだったので約3ヶ月半!!)
早く寝よう。
今学期は遅刻しない・・・!が目標。。。
できるかな^^;
おやすみなさい!
.
GWももう後半ですね。
このお休みを利用して、東京に住む叔母(母の妹)とうちの弟が女川に帰省したのですが、こんなものを見つけたそうです。
食器や網などの・・・幸楽グッズ!!!
厨房で使ってたレードル!!!
幸楽とは家族で経営しているうちの焼肉屋のことです。
女川の人が知ってるのはこっちの姿かな?
おじいちゃんが創業し、父が2代目でしたが、この間の津波にやられてしまいました。
(ちなみにこのおじいちゃんはお母さん側のおじいちゃんで、うちの父はマスオさんです。)
でも女川の住宅は7割が被害を受けたそうなので、海まで徒歩1分の我が家が流されてしまったのは無理もないことだと思います。
3/11の震災緊急特番で女川は映りませんでしたが、他の町の壊滅具合を目にして、「あー、きっとうちもないな。」とあきらめていました。
(だから気持ちとしては家より家族の安否が早く知りたくて・・・)
裏に自宅もあったのですが、きれいさっぱりありません。
まぁ仕方ない。
女川は、海側は更地のように物がなく、海から離れるにつれて瓦礫が多くなってきます。
がれきの山と化した家々を見た父は「うちは残ってなくてよかったなぁ・・・」と言ってまし
た。
確かに、物が残っているだけ余計に辛そうです。
私は3/11以降、2回帰省しているのですが、見つかったのは焼肉用の網だけ。
持って帰れるような小さいものは何もなかったのですが、今回叔母と弟がこれだけの物を発掘したようで、なんだか嬉しい半分悔しい半分。笑
カーネーションは行方不明の祖母と母にでしょうね。
ずるい。うちもやりたかったww
写真のおみやげを分けてもらったからよしとするか。
ところで、ご近所にある写真屋のお姉ちゃんがこのとき撮ってくれた写真が、地元サッカークラブ「コバルトーレ女川」の応援サイトに載りました!
http://onagawasupporters.com/2011/05/05/inspiration-for-the-future/
inspiration for the future!というタイトルがつけられています^^
実はこの写真をfacebookにもアップしたんですが、友達が「希望にあふれてるね」ってコメントをくれたんです。
実際、家も車も職場も友人も家族をも同時に失った人たちが辛くないはずはないけど、みんながこの2ヵ月下を向いて過ごしてきたわけじゃない。
そんなことをこの1枚から感じてくれたのかなと思ってうれしくなりました。
瓦礫の中(しかも全壊流失した自宅跡!)に立っている絵のはずなんだけど、私もこれは好き。
さすがカメラマンが撮ると違うな^^
* * * * * * * * * * * * * *
さて、私の学校は明日から新学期なので、自分にとっては今日が長い長いお休みの最終日です。
(1/19から春休みだったので約3ヶ月半!!)
早く寝よう。
今学期は遅刻しない・・・!が目標。。。
できるかな^^;
おやすみなさい!
.
2011年5月4日水曜日
もうすぐ2ヵ月
.
久々の投稿になってしまいました。
twitterやmixiなどをやっていない人にも今回の大震災の情報を伝えたい、ってことで始めたブログですが、震災からあっという間にもうすぐ2ヵ月というところにきています。
ほんとにあっという間でした。
何かあるごとに「このことブログに書きたいなー」と思ってはいたのですが、なにしろ筆不精なもので。。。^^;
( ところで辞書をひくと「震災」は“地震による被害”という意味だそうなので、あんまり使いたくないなーと思っています。津波や原子力の影響の方が大きかったのに、そのニュアンスが含まれていなくてしっくりこないので。
この2つは関東大震災や阪神・淡路大震災と大きくちがうところだと思う。
私の家族やふるさとが一番ダメージを受けたのは津波のせいだし。
まぁ「あ、あれね」と伝わればいいので、たくさんの人にわかってほしいときは東日本大震災、って言いますが。 )
今日はふるさと女川で、復幸市なるものが開催されています。
この名前いいよね!
毎年GWの時期はお祭りで、各地区の子ども会がおみこしを担いでました。
お神輿も津波で流されちゃっただろうけど、こんな形でお祭りを楽しめるのもいいですね。
女川、お祭り大好きだからね。
月一でお祭りあるよね。マリンパルとかで。
これは去年のみなと祭り。(花火の写真はhttp://www.miyagi-kankou.or.jp/wom/o-1861からもらってきました)
これは去年のサンマ収穫祭。
水産会社の人たちが焼いてくれたサンマをタダで配ってますww
だからみんながまたお祭りしよう!って気持ちになれた、っていうのは大変うれしいことです。
4/28に帰省したときはすでに熊野神社に飾りつけがしてありました。
そういえば昨日NHKで放映された音楽番組で女川が3回も映りました!
女川出身の中村雅俊さんが2008年に海岸を歩く様子のVTRが流れたのですが、その美しさにびっくり!!
(主観も入っているのかもしれませんが・・・。)
一瞬一瞬できれいだな、って思うことはあっても、元々がこんなにきれいなものだなんて気づきませんでした。
大事なものは失ってから気づく、って本当にあるんですね。
気づけただけよかったと思うか。
今は思い出がいっぱいありすぎて、女川の写真を見るだけで泣けてきそうです。
でもそんな場所がある、っていうことは幸せだし、そのこと自体が私の宝物だと思います。
・・・改めて見直すとくさくて恥ずかしくなってくるなー。笑
まぁこんなときくらいいいかー。
.
久々の投稿になってしまいました。
twitterやmixiなどをやっていない人にも今回の大震災の情報を伝えたい、ってことで始めたブログですが、震災からあっという間にもうすぐ2ヵ月というところにきています。
ほんとにあっという間でした。
何かあるごとに「このことブログに書きたいなー」と思ってはいたのですが、なにしろ筆不精なもので。。。^^;
( ところで辞書をひくと「震災」は“地震による被害”という意味だそうなので、あんまり使いたくないなーと思っています。津波や原子力の影響の方が大きかったのに、そのニュアンスが含まれていなくてしっくりこないので。
この2つは関東大震災や阪神・淡路大震災と大きくちがうところだと思う。
私の家族やふるさとが一番ダメージを受けたのは津波のせいだし。
まぁ「あ、あれね」と伝わればいいので、たくさんの人にわかってほしいときは東日本大震災、って言いますが。 )
今日はふるさと女川で、復幸市なるものが開催されています。
この名前いいよね!
毎年GWの時期はお祭りで、各地区の子ども会がおみこしを担いでました。
お神輿も津波で流されちゃっただろうけど、こんな形でお祭りを楽しめるのもいいですね。
女川、お祭り大好きだからね。
月一でお祭りあるよね。マリンパルとかで。
これは去年のみなと祭り。(花火の写真はhttp://www.miyagi-kankou.or.jp/wom/o-1861からもらってきました)
これは去年のサンマ収穫祭。
水産会社の人たちが焼いてくれたサンマをタダで配ってますww
だからみんながまたお祭りしよう!って気持ちになれた、っていうのは大変うれしいことです。
4/28に帰省したときはすでに熊野神社に飾りつけがしてありました。
そういえば昨日NHKで放映された音楽番組で女川が3回も映りました!
女川出身の中村雅俊さんが2008年に海岸を歩く様子のVTRが流れたのですが、その美しさにびっくり!!
(主観も入っているのかもしれませんが・・・。)
一瞬一瞬できれいだな、って思うことはあっても、元々がこんなにきれいなものだなんて気づきませんでした。
大事なものは失ってから気づく、って本当にあるんですね。
気づけただけよかったと思うか。
今は思い出がいっぱいありすぎて、女川の写真を見るだけで泣けてきそうです。
でもそんな場所がある、っていうことは幸せだし、そのこと自体が私の宝物だと思います。
・・・改めて見直すとくさくて恥ずかしくなってくるなー。笑
まぁこんなときくらいいいかー。
.
2011年4月1日金曜日
'The Worst Situation I've Ever Seen'
なんと3月16日に載せた女川出身の友達の日記がドイツ新聞雑誌のSPIEGELに載りました。
そのブログです↓
http://yukakaneyama.blogspot.com/2011/03/mixi-twitter-id-yukakaneyama-m9.html
私はまったく知らなかったのですが、女川に遊びに来たこともあるドイツ人の友人がこの会社に就職してたみたいです。
このブログを見て、独訳したそうな。
ネットってすごいですねー。
女川を飛び越え、ドイツまで!
ご報告までに抜粋して転載します。
ドイツ語はわからないので、英語のインターナショナル版で・・・
AERAやNHKの取材も受けたそうなので、もしかしたら他で目にしたことがある方もいらっしゃるかもしれませんね。
以下、SPIEGEL International の転載
'The Worst Situation I've Ever Seen'
Klaus Buchmüller is an almost 20-year veteran of the Technische Hilfswerk (THW), Germany's federal emergency relief agency. Buchmüller has brought aid to places such as Afghanistan, the Congo and Iraq, and he arrived in Tokyo as the head of a THW team some 40 hours after the quake had struck. "This is the worst situation I've ever seen," he says, adding that no one was prepared to deal with an earthquake, tsunami and potential nuclear disaster at the same time. "If I would have presented this kind of scenario in a training exercise, people would have called me crazy."
The phone on Buchmüller's desk has been ringing nonstop for days. Some of the callers are also Europeans who are stuck in the catastrophe area and desperate to get out. Transportation has been limited, there are fuel shortages, and the streets are often blocked by mountains of debris. There has yet to be a complete evacuation of the emergency areas.
In these places, many are facing shortages of crucial necessities: food, water and warmth. Though famous for their toughness, even the Japanese are starting to show signs of stress. Mako Matsukawa survived the destruction of her hometown of Onagawa, a small coastal city in the hardest-hit Miyagi prefecture. The 19-year-old university student had taken refuge in a middle-school gymnasium, whose windows had been shattered by the earthquake.
Matsukawa says that it took two days before food arrived and that, even then, she only got half a bowl of soup. Later, she and her father descended the hill into the tsunami-destroyed city, which used to be home to almost 10,000 people. Now, the city was just pile after pile of debris. When night came, the survivors lit fires in ditches and roasted fish washed in by the tsunami.
Food Lines
Matsukawa believes that people here have reached the limit of their patience. "Even though many people tried to ensure that children and the elderly were the first to eat, in practice it was first come, first served. In the end I was lucky enough to get some food. But there were many people who got nothing."
After a while Matsukawa couldn't stand the city any longer. The streets stank of fish, and the people reeked of smoke. There were only makeshift toilets and crowds of people lined up in front of them.
In the end, she and her family made their way to Sendai, the hard-hit city with a million inhabitants. There, they finally found enough to eat. "In the evening, we ate warm rice," she says, "and I was filled with joy."
But food supplies are also tight in Sendai and the stores' shelves are empty. With little external help coming in, Mayor Emiko Okuyama could only appeal to the public spirit of her city's inhabitants in an address. "Until we reach the point where there is enough food and shelter, I ask you to share provisions a little bit more," she said.
原文はこちらから。
http://www.spiegel.de/international/world/0,1518,752177,00.html
.
Tweet
そのブログです↓
http://yukakaneyama.blogspot.com/2011/03/mixi-twitter-id-yukakaneyama-m9.html
私はまったく知らなかったのですが、女川に遊びに来たこともあるドイツ人の友人がこの会社に就職してたみたいです。
このブログを見て、独訳したそうな。
ネットってすごいですねー。
女川を飛び越え、ドイツまで!
ご報告までに抜粋して転載します。
ドイツ語はわからないので、英語のインターナショナル版で・・・
AERAやNHKの取材も受けたそうなので、もしかしたら他で目にしたことがある方もいらっしゃるかもしれませんね。
以下、SPIEGEL International の転載
'The Worst Situation I've Ever Seen'
Klaus Buchmüller is an almost 20-year veteran of the Technische Hilfswerk (THW), Germany's federal emergency relief agency. Buchmüller has brought aid to places such as Afghanistan, the Congo and Iraq, and he arrived in Tokyo as the head of a THW team some 40 hours after the quake had struck. "This is the worst situation I've ever seen," he says, adding that no one was prepared to deal with an earthquake, tsunami and potential nuclear disaster at the same time. "If I would have presented this kind of scenario in a training exercise, people would have called me crazy."
The phone on Buchmüller's desk has been ringing nonstop for days. Some of the callers are also Europeans who are stuck in the catastrophe area and desperate to get out. Transportation has been limited, there are fuel shortages, and the streets are often blocked by mountains of debris. There has yet to be a complete evacuation of the emergency areas.
In these places, many are facing shortages of crucial necessities: food, water and warmth. Though famous for their toughness, even the Japanese are starting to show signs of stress. Mako Matsukawa survived the destruction of her hometown of Onagawa, a small coastal city in the hardest-hit Miyagi prefecture. The 19-year-old university student had taken refuge in a middle-school gymnasium, whose windows had been shattered by the earthquake.
Matsukawa says that it took two days before food arrived and that, even then, she only got half a bowl of soup. Later, she and her father descended the hill into the tsunami-destroyed city, which used to be home to almost 10,000 people. Now, the city was just pile after pile of debris. When night came, the survivors lit fires in ditches and roasted fish washed in by the tsunami.
Food Lines
Matsukawa believes that people here have reached the limit of their patience. "Even though many people tried to ensure that children and the elderly were the first to eat, in practice it was first come, first served. In the end I was lucky enough to get some food. But there were many people who got nothing."
After a while Matsukawa couldn't stand the city any longer. The streets stank of fish, and the people reeked of smoke. There were only makeshift toilets and crowds of people lined up in front of them.
In the end, she and her family made their way to Sendai, the hard-hit city with a million inhabitants. There, they finally found enough to eat. "In the evening, we ate warm rice," she says, "and I was filled with joy."
But food supplies are also tight in Sendai and the stores' shelves are empty. With little external help coming in, Mayor Emiko Okuyama could only appeal to the public spirit of her city's inhabitants in an address. "Until we reach the point where there is enough food and shelter, I ask you to share provisions a little bit more," she said.
原文はこちらから。
http://www.spiegel.de/international/world/0,1518,752177,00.html
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2011年3月22日火曜日
被災後の女川: youtube
女川町の様子がyoutubeでアップされていた。
Someone uploaded the video on youtube. It's my hometown, Onagawa.
津波が来た翌日の写真を見ていたからか、この動画に出てくる女川は片付いているように感じる。しかしそれでもすさまじい。
戦争の後みたい。
・・・体験したことはないけれど。
これを人の手で行うのが戦争なら、絶対におこしちゃいけないと思う。
避けられることなのに・・・辛すぎる。
天災には抗えない。今回は無念ではあるが仕方ない。
そう思わなければやりきれない。
明日東京を発つ。
避難所にいる父に会うため、母と祖母を探すため、生まれ故郷に帰るため。
ここがきれいに片付けられる前にこの目に焼き付けておきたい。
Someone uploaded the video on youtube. It's my hometown, Onagawa.
津波が来た翌日の写真を見ていたからか、この動画に出てくる女川は片付いているように感じる。しかしそれでもすさまじい。
戦争の後みたい。
・・・体験したことはないけれど。
これを人の手で行うのが戦争なら、絶対におこしちゃいけないと思う。
避けられることなのに・・・辛すぎる。
天災には抗えない。今回は無念ではあるが仕方ない。
そう思わなければやりきれない。
明日東京を発つ。
避難所にいる父に会うため、母と祖母を探すため、生まれ故郷に帰るため。
ここがきれいに片付けられる前にこの目に焼き付けておきたい。
2011年3月19日土曜日
3月11日
先週の今日
すっかり春休みボケして昼過ぎに起きたら、母から「ケィちゃんからPostcard届いたよ」とメールが入っていた。
友人がマレーシアから送ってくれたのが届いたんだ。
上京してきてから一番の揺れを感じた。
すぐにガスの元栓を締め、ドアを開けて食器棚が倒れないように押さえる。
テレビをつける。
震源地が三陸沖。
震度7。
こんな数値見たことない。
今日が締め切りのESを銀座に提出しに行く予定だったけど、もうどうでもよかった。
これが中学生ぐらいの時から「30年以内に発生する確率99%」言われていた宮城県沖地震なのだろうか?
お母さんに電話しても出ない。
地震のときはいつも回線が込み合うから、「落ち着いたら電話して」とだけメールを送っておいた。
予想される津波の高さは3mから10mへと変わる。
10m?
大げさだと思った。
私が今まで体験した津波は、大抵、海水がじわじわと家にしみこんでくる感じだ。
潮の満ち干きによって床上浸水だったり床下浸水だったり。
いくら今回の地震がすごくてもたいしたことないんだろう。
テレビに名取が映っていた。
海水は名取川を逆流し、川に入り損ねた水は田畑を浸食していく。
仙台空港は半水没。
岩手の沿岸部の町では波が岩盤を叩きつけ、ものすごいスピードで押し寄せてくる。
なんかやばいぞ、と思い始める。
家が、車が、船が、濁流に流れていく。
映画のCGのようで現実味がない。
なんで震源地に一番近い女川がテレビに出ないんだといらいらした。
母は電話に出ない。
夜9時ごろ。
「宮城県女川町壊滅的」のテロップ。
全部なくなったと思った。
壊滅的なんて言葉、これまでの人生で何回使ったんだろう。
ひどく日常からかけ離れた言葉だった。
テレビを流しながら、いいから早く女川を映せと一晩中思っていた。
.
すっかり春休みボケして昼過ぎに起きたら、母から「ケィちゃんからPostcard届いたよ」とメールが入っていた。
友人がマレーシアから送ってくれたのが届いたんだ。
上京してきてから一番の揺れを感じた。
すぐにガスの元栓を締め、ドアを開けて食器棚が倒れないように押さえる。
テレビをつける。
震源地が三陸沖。
震度7。
こんな数値見たことない。
今日が締め切りのESを銀座に提出しに行く予定だったけど、もうどうでもよかった。
これが中学生ぐらいの時から「30年以内に発生する確率99%」言われていた宮城県沖地震なのだろうか?
お母さんに電話しても出ない。
地震のときはいつも回線が込み合うから、「落ち着いたら電話して」とだけメールを送っておいた。
予想される津波の高さは3mから10mへと変わる。
10m?
大げさだと思った。
私が今まで体験した津波は、大抵、海水がじわじわと家にしみこんでくる感じだ。
潮の満ち干きによって床上浸水だったり床下浸水だったり。
いくら今回の地震がすごくてもたいしたことないんだろう。
テレビに名取が映っていた。
海水は名取川を逆流し、川に入り損ねた水は田畑を浸食していく。
仙台空港は半水没。
岩手の沿岸部の町では波が岩盤を叩きつけ、ものすごいスピードで押し寄せてくる。
なんかやばいぞ、と思い始める。
家が、車が、船が、濁流に流れていく。
映画のCGのようで現実味がない。
なんで震源地に一番近い女川がテレビに出ないんだといらいらした。
母は電話に出ない。
夜9時ごろ。
「宮城県女川町壊滅的」のテロップ。
全部なくなったと思った。
壊滅的なんて言葉、これまでの人生で何回使ったんだろう。
ひどく日常からかけ離れた言葉だった。
テレビを流しながら、いいから早く女川を映せと一晩中思っていた。
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