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今回の大津波発生で思い出の品々が流されてしまったので、親戚に写真を分けてもらいました。
そしたら中からこんな物が・・・
お、お、おかん!!
20代!!!
というか今日結婚記念日!!
数えたら今年25年目だったんですね。
今までそんな話聞いたことなかったし、気になったこともなかった。
きっと母の日と結婚記念日がかぶってたこともあったんだろうなー。
もったいないことしてたな。
直接言えなくて残念だけど、父ちゃん、母ちゃん、結婚25年おめでとう。
こんなの言ったのも初めてだなぁ。。。
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2011年5月10日火曜日
2011年5月6日金曜日
お宝発掘!!
.
GWももう後半ですね。
このお休みを利用して、東京に住む叔母(母の妹)とうちの弟が女川に帰省したのですが、こんなものを見つけたそうです。
食器や網などの・・・幸楽グッズ!!!
厨房で使ってたレードル!!!
幸楽とは家族で経営しているうちの焼肉屋のことです。
女川の人が知ってるのはこっちの姿かな?
おじいちゃんが創業し、父が2代目でしたが、この間の津波にやられてしまいました。
(ちなみにこのおじいちゃんはお母さん側のおじいちゃんで、うちの父はマスオさんです。)
でも女川の住宅は7割が被害を受けたそうなので、海まで徒歩1分の我が家が流されてしまったのは無理もないことだと思います。
3/11の震災緊急特番で女川は映りませんでしたが、他の町の壊滅具合を目にして、「あー、きっとうちもないな。」とあきらめていました。
(だから気持ちとしては家より家族の安否が早く知りたくて・・・)
裏に自宅もあったのですが、きれいさっぱりありません。
まぁ仕方ない。
女川は、海側は更地のように物がなく、海から離れるにつれて瓦礫が多くなってきます。
がれきの山と化した家々を見た父は「うちは残ってなくてよかったなぁ・・・」と言ってまし
た。
確かに、物が残っているだけ余計に辛そうです。
私は3/11以降、2回帰省しているのですが、見つかったのは焼肉用の網だけ。
持って帰れるような小さいものは何もなかったのですが、今回叔母と弟がこれだけの物を発掘したようで、なんだか嬉しい半分悔しい半分。笑
カーネーションは行方不明の祖母と母にでしょうね。
ずるい。うちもやりたかったww
写真のおみやげを分けてもらったからよしとするか。
ところで、ご近所にある写真屋のお姉ちゃんがこのとき撮ってくれた写真が、地元サッカークラブ「コバルトーレ女川」の応援サイトに載りました!
http://onagawasupporters.com/2011/05/05/inspiration-for-the-future/
inspiration for the future!というタイトルがつけられています^^
実はこの写真をfacebookにもアップしたんですが、友達が「希望にあふれてるね」ってコメントをくれたんです。
実際、家も車も職場も友人も家族をも同時に失った人たちが辛くないはずはないけど、みんながこの2ヵ月下を向いて過ごしてきたわけじゃない。
そんなことをこの1枚から感じてくれたのかなと思ってうれしくなりました。
瓦礫の中(しかも全壊流失した自宅跡!)に立っている絵のはずなんだけど、私もこれは好き。
さすがカメラマンが撮ると違うな^^
* * * * * * * * * * * * * *
さて、私の学校は明日から新学期なので、自分にとっては今日が長い長いお休みの最終日です。
(1/19から春休みだったので約3ヶ月半!!)
早く寝よう。
今学期は遅刻しない・・・!が目標。。。
できるかな^^;
おやすみなさい!
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GWももう後半ですね。
このお休みを利用して、東京に住む叔母(母の妹)とうちの弟が女川に帰省したのですが、こんなものを見つけたそうです。
食器や網などの・・・幸楽グッズ!!!
厨房で使ってたレードル!!!
幸楽とは家族で経営しているうちの焼肉屋のことです。
女川の人が知ってるのはこっちの姿かな?
おじいちゃんが創業し、父が2代目でしたが、この間の津波にやられてしまいました。
(ちなみにこのおじいちゃんはお母さん側のおじいちゃんで、うちの父はマスオさんです。)
でも女川の住宅は7割が被害を受けたそうなので、海まで徒歩1分の我が家が流されてしまったのは無理もないことだと思います。
3/11の震災緊急特番で女川は映りませんでしたが、他の町の壊滅具合を目にして、「あー、きっとうちもないな。」とあきらめていました。
(だから気持ちとしては家より家族の安否が早く知りたくて・・・)
裏に自宅もあったのですが、きれいさっぱりありません。
まぁ仕方ない。
女川は、海側は更地のように物がなく、海から離れるにつれて瓦礫が多くなってきます。
がれきの山と化した家々を見た父は「うちは残ってなくてよかったなぁ・・・」と言ってまし
た。
確かに、物が残っているだけ余計に辛そうです。
私は3/11以降、2回帰省しているのですが、見つかったのは焼肉用の網だけ。
持って帰れるような小さいものは何もなかったのですが、今回叔母と弟がこれだけの物を発掘したようで、なんだか嬉しい半分悔しい半分。笑
カーネーションは行方不明の祖母と母にでしょうね。
ずるい。うちもやりたかったww
写真のおみやげを分けてもらったからよしとするか。
ところで、ご近所にある写真屋のお姉ちゃんがこのとき撮ってくれた写真が、地元サッカークラブ「コバルトーレ女川」の応援サイトに載りました!
http://onagawasupporters.com/2011/05/05/inspiration-for-the-future/
inspiration for the future!というタイトルがつけられています^^
実はこの写真をfacebookにもアップしたんですが、友達が「希望にあふれてるね」ってコメントをくれたんです。
実際、家も車も職場も友人も家族をも同時に失った人たちが辛くないはずはないけど、みんながこの2ヵ月下を向いて過ごしてきたわけじゃない。
そんなことをこの1枚から感じてくれたのかなと思ってうれしくなりました。
瓦礫の中(しかも全壊流失した自宅跡!)に立っている絵のはずなんだけど、私もこれは好き。
さすがカメラマンが撮ると違うな^^
* * * * * * * * * * * * * *
さて、私の学校は明日から新学期なので、自分にとっては今日が長い長いお休みの最終日です。
(1/19から春休みだったので約3ヶ月半!!)
早く寝よう。
今学期は遅刻しない・・・!が目標。。。
できるかな^^;
おやすみなさい!
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2011年5月4日水曜日
もうすぐ2ヵ月
.
久々の投稿になってしまいました。
twitterやmixiなどをやっていない人にも今回の大震災の情報を伝えたい、ってことで始めたブログですが、震災からあっという間にもうすぐ2ヵ月というところにきています。
ほんとにあっという間でした。
何かあるごとに「このことブログに書きたいなー」と思ってはいたのですが、なにしろ筆不精なもので。。。^^;
( ところで辞書をひくと「震災」は“地震による被害”という意味だそうなので、あんまり使いたくないなーと思っています。津波や原子力の影響の方が大きかったのに、そのニュアンスが含まれていなくてしっくりこないので。
この2つは関東大震災や阪神・淡路大震災と大きくちがうところだと思う。
私の家族やふるさとが一番ダメージを受けたのは津波のせいだし。
まぁ「あ、あれね」と伝わればいいので、たくさんの人にわかってほしいときは東日本大震災、って言いますが。 )
今日はふるさと女川で、復幸市なるものが開催されています。
この名前いいよね!
毎年GWの時期はお祭りで、各地区の子ども会がおみこしを担いでました。
お神輿も津波で流されちゃっただろうけど、こんな形でお祭りを楽しめるのもいいですね。
女川、お祭り大好きだからね。
月一でお祭りあるよね。マリンパルとかで。
これは去年のみなと祭り。(花火の写真はhttp://www.miyagi-kankou.or.jp/wom/o-1861からもらってきました)
これは去年のサンマ収穫祭。
水産会社の人たちが焼いてくれたサンマをタダで配ってますww
だからみんながまたお祭りしよう!って気持ちになれた、っていうのは大変うれしいことです。
4/28に帰省したときはすでに熊野神社に飾りつけがしてありました。
そういえば昨日NHKで放映された音楽番組で女川が3回も映りました!
女川出身の中村雅俊さんが2008年に海岸を歩く様子のVTRが流れたのですが、その美しさにびっくり!!
(主観も入っているのかもしれませんが・・・。)
一瞬一瞬できれいだな、って思うことはあっても、元々がこんなにきれいなものだなんて気づきませんでした。
大事なものは失ってから気づく、って本当にあるんですね。
気づけただけよかったと思うか。
今は思い出がいっぱいありすぎて、女川の写真を見るだけで泣けてきそうです。
でもそんな場所がある、っていうことは幸せだし、そのこと自体が私の宝物だと思います。
・・・改めて見直すとくさくて恥ずかしくなってくるなー。笑
まぁこんなときくらいいいかー。
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久々の投稿になってしまいました。
twitterやmixiなどをやっていない人にも今回の大震災の情報を伝えたい、ってことで始めたブログですが、震災からあっという間にもうすぐ2ヵ月というところにきています。
ほんとにあっという間でした。
何かあるごとに「このことブログに書きたいなー」と思ってはいたのですが、なにしろ筆不精なもので。。。^^;
( ところで辞書をひくと「震災」は“地震による被害”という意味だそうなので、あんまり使いたくないなーと思っています。津波や原子力の影響の方が大きかったのに、そのニュアンスが含まれていなくてしっくりこないので。
この2つは関東大震災や阪神・淡路大震災と大きくちがうところだと思う。
私の家族やふるさとが一番ダメージを受けたのは津波のせいだし。
まぁ「あ、あれね」と伝わればいいので、たくさんの人にわかってほしいときは東日本大震災、って言いますが。 )
今日はふるさと女川で、復幸市なるものが開催されています。
この名前いいよね!
毎年GWの時期はお祭りで、各地区の子ども会がおみこしを担いでました。
お神輿も津波で流されちゃっただろうけど、こんな形でお祭りを楽しめるのもいいですね。
女川、お祭り大好きだからね。
月一でお祭りあるよね。マリンパルとかで。
これは去年のみなと祭り。(花火の写真はhttp://www.miyagi-kankou.or.jp/wom/o-1861からもらってきました)
これは去年のサンマ収穫祭。
水産会社の人たちが焼いてくれたサンマをタダで配ってますww
だからみんながまたお祭りしよう!って気持ちになれた、っていうのは大変うれしいことです。
4/28に帰省したときはすでに熊野神社に飾りつけがしてありました。
そういえば昨日NHKで放映された音楽番組で女川が3回も映りました!
女川出身の中村雅俊さんが2008年に海岸を歩く様子のVTRが流れたのですが、その美しさにびっくり!!
(主観も入っているのかもしれませんが・・・。)
一瞬一瞬できれいだな、って思うことはあっても、元々がこんなにきれいなものだなんて気づきませんでした。
大事なものは失ってから気づく、って本当にあるんですね。
気づけただけよかったと思うか。
今は思い出がいっぱいありすぎて、女川の写真を見るだけで泣けてきそうです。
でもそんな場所がある、っていうことは幸せだし、そのこと自体が私の宝物だと思います。
・・・改めて見直すとくさくて恥ずかしくなってくるなー。笑
まぁこんなときくらいいいかー。
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2011年4月1日金曜日
'The Worst Situation I've Ever Seen'
なんと3月16日に載せた女川出身の友達の日記がドイツ新聞雑誌のSPIEGELに載りました。
そのブログです↓
http://yukakaneyama.blogspot.com/2011/03/mixi-twitter-id-yukakaneyama-m9.html
私はまったく知らなかったのですが、女川に遊びに来たこともあるドイツ人の友人がこの会社に就職してたみたいです。
このブログを見て、独訳したそうな。
ネットってすごいですねー。
女川を飛び越え、ドイツまで!
ご報告までに抜粋して転載します。
ドイツ語はわからないので、英語のインターナショナル版で・・・
AERAやNHKの取材も受けたそうなので、もしかしたら他で目にしたことがある方もいらっしゃるかもしれませんね。
以下、SPIEGEL International の転載
'The Worst Situation I've Ever Seen'
Klaus Buchmüller is an almost 20-year veteran of the Technische Hilfswerk (THW), Germany's federal emergency relief agency. Buchmüller has brought aid to places such as Afghanistan, the Congo and Iraq, and he arrived in Tokyo as the head of a THW team some 40 hours after the quake had struck. "This is the worst situation I've ever seen," he says, adding that no one was prepared to deal with an earthquake, tsunami and potential nuclear disaster at the same time. "If I would have presented this kind of scenario in a training exercise, people would have called me crazy."
The phone on Buchmüller's desk has been ringing nonstop for days. Some of the callers are also Europeans who are stuck in the catastrophe area and desperate to get out. Transportation has been limited, there are fuel shortages, and the streets are often blocked by mountains of debris. There has yet to be a complete evacuation of the emergency areas.
In these places, many are facing shortages of crucial necessities: food, water and warmth. Though famous for their toughness, even the Japanese are starting to show signs of stress. Mako Matsukawa survived the destruction of her hometown of Onagawa, a small coastal city in the hardest-hit Miyagi prefecture. The 19-year-old university student had taken refuge in a middle-school gymnasium, whose windows had been shattered by the earthquake.
Matsukawa says that it took two days before food arrived and that, even then, she only got half a bowl of soup. Later, she and her father descended the hill into the tsunami-destroyed city, which used to be home to almost 10,000 people. Now, the city was just pile after pile of debris. When night came, the survivors lit fires in ditches and roasted fish washed in by the tsunami.
Food Lines
Matsukawa believes that people here have reached the limit of their patience. "Even though many people tried to ensure that children and the elderly were the first to eat, in practice it was first come, first served. In the end I was lucky enough to get some food. But there were many people who got nothing."
After a while Matsukawa couldn't stand the city any longer. The streets stank of fish, and the people reeked of smoke. There were only makeshift toilets and crowds of people lined up in front of them.
In the end, she and her family made their way to Sendai, the hard-hit city with a million inhabitants. There, they finally found enough to eat. "In the evening, we ate warm rice," she says, "and I was filled with joy."
But food supplies are also tight in Sendai and the stores' shelves are empty. With little external help coming in, Mayor Emiko Okuyama could only appeal to the public spirit of her city's inhabitants in an address. "Until we reach the point where there is enough food and shelter, I ask you to share provisions a little bit more," she said.
原文はこちらから。
http://www.spiegel.de/international/world/0,1518,752177,00.html
.
Tweet
そのブログです↓
http://yukakaneyama.blogspot.com/2011/03/mixi-twitter-id-yukakaneyama-m9.html
私はまったく知らなかったのですが、女川に遊びに来たこともあるドイツ人の友人がこの会社に就職してたみたいです。
このブログを見て、独訳したそうな。
ネットってすごいですねー。
女川を飛び越え、ドイツまで!
ご報告までに抜粋して転載します。
ドイツ語はわからないので、英語のインターナショナル版で・・・
AERAやNHKの取材も受けたそうなので、もしかしたら他で目にしたことがある方もいらっしゃるかもしれませんね。
以下、SPIEGEL International の転載
'The Worst Situation I've Ever Seen'
Klaus Buchmüller is an almost 20-year veteran of the Technische Hilfswerk (THW), Germany's federal emergency relief agency. Buchmüller has brought aid to places such as Afghanistan, the Congo and Iraq, and he arrived in Tokyo as the head of a THW team some 40 hours after the quake had struck. "This is the worst situation I've ever seen," he says, adding that no one was prepared to deal with an earthquake, tsunami and potential nuclear disaster at the same time. "If I would have presented this kind of scenario in a training exercise, people would have called me crazy."
The phone on Buchmüller's desk has been ringing nonstop for days. Some of the callers are also Europeans who are stuck in the catastrophe area and desperate to get out. Transportation has been limited, there are fuel shortages, and the streets are often blocked by mountains of debris. There has yet to be a complete evacuation of the emergency areas.
In these places, many are facing shortages of crucial necessities: food, water and warmth. Though famous for their toughness, even the Japanese are starting to show signs of stress. Mako Matsukawa survived the destruction of her hometown of Onagawa, a small coastal city in the hardest-hit Miyagi prefecture. The 19-year-old university student had taken refuge in a middle-school gymnasium, whose windows had been shattered by the earthquake.
Matsukawa says that it took two days before food arrived and that, even then, she only got half a bowl of soup. Later, she and her father descended the hill into the tsunami-destroyed city, which used to be home to almost 10,000 people. Now, the city was just pile after pile of debris. When night came, the survivors lit fires in ditches and roasted fish washed in by the tsunami.
Food Lines
Matsukawa believes that people here have reached the limit of their patience. "Even though many people tried to ensure that children and the elderly were the first to eat, in practice it was first come, first served. In the end I was lucky enough to get some food. But there were many people who got nothing."
After a while Matsukawa couldn't stand the city any longer. The streets stank of fish, and the people reeked of smoke. There were only makeshift toilets and crowds of people lined up in front of them.
In the end, she and her family made their way to Sendai, the hard-hit city with a million inhabitants. There, they finally found enough to eat. "In the evening, we ate warm rice," she says, "and I was filled with joy."
But food supplies are also tight in Sendai and the stores' shelves are empty. With little external help coming in, Mayor Emiko Okuyama could only appeal to the public spirit of her city's inhabitants in an address. "Until we reach the point where there is enough food and shelter, I ask you to share provisions a little bit more," she said.
原文はこちらから。
http://www.spiegel.de/international/world/0,1518,752177,00.html
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2011年3月22日火曜日
被災後の女川: youtube
女川町の様子がyoutubeでアップされていた。
Someone uploaded the video on youtube. It's my hometown, Onagawa.
津波が来た翌日の写真を見ていたからか、この動画に出てくる女川は片付いているように感じる。しかしそれでもすさまじい。
戦争の後みたい。
・・・体験したことはないけれど。
これを人の手で行うのが戦争なら、絶対におこしちゃいけないと思う。
避けられることなのに・・・辛すぎる。
天災には抗えない。今回は無念ではあるが仕方ない。
そう思わなければやりきれない。
明日東京を発つ。
避難所にいる父に会うため、母と祖母を探すため、生まれ故郷に帰るため。
ここがきれいに片付けられる前にこの目に焼き付けておきたい。
Someone uploaded the video on youtube. It's my hometown, Onagawa.
津波が来た翌日の写真を見ていたからか、この動画に出てくる女川は片付いているように感じる。しかしそれでもすさまじい。
戦争の後みたい。
・・・体験したことはないけれど。
これを人の手で行うのが戦争なら、絶対におこしちゃいけないと思う。
避けられることなのに・・・辛すぎる。
天災には抗えない。今回は無念ではあるが仕方ない。
そう思わなければやりきれない。
明日東京を発つ。
避難所にいる父に会うため、母と祖母を探すため、生まれ故郷に帰るため。
ここがきれいに片付けられる前にこの目に焼き付けておきたい。
2011年3月19日土曜日
3月11日
先週の今日
すっかり春休みボケして昼過ぎに起きたら、母から「ケィちゃんからPostcard届いたよ」とメールが入っていた。
友人がマレーシアから送ってくれたのが届いたんだ。
上京してきてから一番の揺れを感じた。
すぐにガスの元栓を締め、ドアを開けて食器棚が倒れないように押さえる。
テレビをつける。
震源地が三陸沖。
震度7。
こんな数値見たことない。
今日が締め切りのESを銀座に提出しに行く予定だったけど、もうどうでもよかった。
これが中学生ぐらいの時から「30年以内に発生する確率99%」言われていた宮城県沖地震なのだろうか?
お母さんに電話しても出ない。
地震のときはいつも回線が込み合うから、「落ち着いたら電話して」とだけメールを送っておいた。
予想される津波の高さは3mから10mへと変わる。
10m?
大げさだと思った。
私が今まで体験した津波は、大抵、海水がじわじわと家にしみこんでくる感じだ。
潮の満ち干きによって床上浸水だったり床下浸水だったり。
いくら今回の地震がすごくてもたいしたことないんだろう。
テレビに名取が映っていた。
海水は名取川を逆流し、川に入り損ねた水は田畑を浸食していく。
仙台空港は半水没。
岩手の沿岸部の町では波が岩盤を叩きつけ、ものすごいスピードで押し寄せてくる。
なんかやばいぞ、と思い始める。
家が、車が、船が、濁流に流れていく。
映画のCGのようで現実味がない。
なんで震源地に一番近い女川がテレビに出ないんだといらいらした。
母は電話に出ない。
夜9時ごろ。
「宮城県女川町壊滅的」のテロップ。
全部なくなったと思った。
壊滅的なんて言葉、これまでの人生で何回使ったんだろう。
ひどく日常からかけ離れた言葉だった。
テレビを流しながら、いいから早く女川を映せと一晩中思っていた。
.
すっかり春休みボケして昼過ぎに起きたら、母から「ケィちゃんからPostcard届いたよ」とメールが入っていた。
友人がマレーシアから送ってくれたのが届いたんだ。
上京してきてから一番の揺れを感じた。
すぐにガスの元栓を締め、ドアを開けて食器棚が倒れないように押さえる。
テレビをつける。
震源地が三陸沖。
震度7。
こんな数値見たことない。
今日が締め切りのESを銀座に提出しに行く予定だったけど、もうどうでもよかった。
これが中学生ぐらいの時から「30年以内に発生する確率99%」言われていた宮城県沖地震なのだろうか?
お母さんに電話しても出ない。
地震のときはいつも回線が込み合うから、「落ち着いたら電話して」とだけメールを送っておいた。
予想される津波の高さは3mから10mへと変わる。
10m?
大げさだと思った。
私が今まで体験した津波は、大抵、海水がじわじわと家にしみこんでくる感じだ。
潮の満ち干きによって床上浸水だったり床下浸水だったり。
いくら今回の地震がすごくてもたいしたことないんだろう。
テレビに名取が映っていた。
海水は名取川を逆流し、川に入り損ねた水は田畑を浸食していく。
仙台空港は半水没。
岩手の沿岸部の町では波が岩盤を叩きつけ、ものすごいスピードで押し寄せてくる。
なんかやばいぞ、と思い始める。
家が、車が、船が、濁流に流れていく。
映画のCGのようで現実味がない。
なんで震源地に一番近い女川がテレビに出ないんだといらいらした。
母は電話に出ない。
夜9時ごろ。
「宮城県女川町壊滅的」のテロップ。
全部なくなったと思った。
壊滅的なんて言葉、これまでの人生で何回使ったんだろう。
ひどく日常からかけ離れた言葉だった。
テレビを流しながら、いいから早く女川を映せと一晩中思っていた。
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2011年3月16日水曜日
浦宿・門前の様子
小・中で同じ学校に通った友人が、自ら「ブログに載せてほしい」と原稿を書いてくれました。
比較的被害が少なかったと言われる門前・浦宿の情報です。
友人は現在進学のため県外に住んでいますが、地震発生当時の様子をお母さんに聞いてまとめたそうです。
友人は現在進学のため県外に住んでいますが、地震発生当時の様子をお母さんに聞いてまとめたそうです。
私の友人の中には、浦宿の工場で働いていた兄が無事だった、津波の後は比較的被害の少ない浦宿の親戚の家にいる、と実際に家族と連絡を取れた人もいます。
twitterで地震発生後もセブンイレブンは営業していたという情報も流れていました。
転載します。
転載します。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
うちは、女川町浦宿門前の女川高校むかえcocoストアの向かって左の坂を少しあがったところに位置しています。国道からかぞえて坂の下から二段目の高さです。私の母は、地震当時家の二階にいました。
地震が収まると家のしたの国道には車で避難してきた人たちの渋滞。そして歩いて避難している人たちがいたそうです。うちは女川湾から歩いておおよそ歩いて30分程度の所に位置しているので普段であれば津波の心配はありません。しかし母はその国道にいた人たちが流されていくのを見たそうです。車から急いで逃げた人たちは無事だったそうですが。
我が家のお隣、坂のすぐそばの家までがれきと水はやってきたそうです。坂の一番上(借家が並ぶあたり)まではこなかったようです。
レストランすえひろ前の坂からもがれきはやってきたようで、墓地の手前少しあたりまできたそうです。
おそらく国道は浦宿駅方面まで水浸でしょう。浦宿駅は水没?とういう話も。(この辺は詳しくありません)
女川第一小学校、成幸団地などは無事だそうです。
ご近所の状況は国道の面した家は一階が浸水。倉庫など作りが甘い建物は流されたかもしれません。また、地震でひびが入った家も。しかし、門前地区のある程度上の方に位置していた家にいてなくなった方はいないようです。
地震の夜は、照源寺でみんなで過ごし、食事もとれたようです。
照源寺には飲料用のわき水があるため水には不自由していないそうです。
その後水は引き、家に帰ることができたようです。
また、田舎故にガスがプロパンのボンベが各家庭にあるため、地震でボンベが壊れていない家はまだガスも使えているようでした。また、第一小学校が避難所になっている模様。後はあくまで噂ですが3小の子供たちも一小に避難してきているとの事。
水が引き歩けるようになったので母が第四保育所周辺までいってみたところ、あの周辺の家も比較的無事らしいです。なので浦宿地区は被害は少ないのではないのでしょうか?この方面から総合体育館にいる親戚や知り合いのところに物資を届けているようです。
自衛隊がきたのは二日目以降。母はようやく石巻の状況を自衛隊の方から聞けたそうです。道も彼らががれきをどかしていったので通行可能状態。
その後母は車で、稲井を通り石巻へ。女川->沢田->稲井->新しくできたトンネル->蛇田方面のルートは生きているのようです。そのとき見たその辺りの家も残っていたそうです。
私の母の主観も多いですが、おそらく浦宿近辺の情報はテレビなどで報道されませんから、この情報が誰かの役に立てばいいかとおもって書かせていただきました。
我が家は非常に幸運でした。家族も生きています。家もなんとか残っています。
しかし、なくなられた方や行方不明の方はまだたくさんいらっしゃいます。私もまだ友人と連絡がとれていません。ニュースの映像を見ると胸が張り裂けそうです。涙が出てきます。同級生の家は残っていないでしょう。女川町は大学進学で家をでるまで過ごした大事な故郷です。一人でも多くの方が助かる事を祈っています。
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