2011年8月21日日曜日

なんと5ヵ月経って・・・

おひさしぶりです。

卒論や学校の課題に追われる中、ちゃっかりBBQしたり北海道旅行に行ったりと夏らしいこともやってる今日この頃です。



本題。

3月11日以降行方不明だったおばあちゃんが見つかりました!

長くなりそうなので、今回は行方不明の家族を探していらっしゃる方々のために心情は省いて事実を中心に書きます。



8月17日、私たちが提出したDNAに近い人物がいると警察から連絡が入りました。

そこで女川在住の父が慰留品(身に着けていた服など)や見つかったときの写真を見に行き、次の日に叔父夫婦(祖母の長男)と石巻にも確認しに行き、祖母だと判明したそうです。

おばあちゃんは女川で津波に巻き込まれたので女川運動公園の陸上競技場に話を聞きに行っていたのですが、現在、石巻地区の遺体確認に関する情報は、石巻のふれあいパークというところに集まっているそうです。
例えば父によると、女川より多くの写真を見ることができたとか。

母の衣服の写真を初めて見た時は黒っぽいジーンズが泥でカーキに見えるほどでしたが、未だ行方不明の方の遺留品はとてもきれいに洗い、新しく写真を撮り直してあるようです。

女川でもそのような写真はまだ見れるようですが、詳しいことを知りたかったら石巻へ、ということなのでしょうか。



母のときは歯の治療痕が決め手でしたが、数日遅れて母の姉弟や私のDNAが一致したと連絡がきました。

これは写真で母らしき人を確認していたので(実際母だったんですが)、その方に合わせて歯やDNAを調べてもらうことができ、早めに結果がわかったのだと思います。


なんと祖母の体も3月に見つかっていました。
なのに私たちが気づかなかった。

女川だけでも何百ものご遺体とその行方不明者家族のDNAをマッチングするんだから、そりゃ時間がかかるわけですね。

一緒に住んでいたはずの父が今回祖母の写真を見ても、はっきり本人だとはわからなかったそうです。



津波で命を落とした方は女川で約1000人。人口の約1割。
見つかった人は、行方不明者も合わせて539人。(8/11時点)
半分近くの人がまだ発見されていないことになります。

ここまできたらもう祖母は海の中で、二度と帰って来れないんだろうと思っていました。

でも8月になって発見されている方もいるし、うちのケースみたいに見逃してたってこともあります。


献血をしたことがある方でその血液がまだ保存されていれば、その血をDNA鑑定に用いることもできるそうです。
本人のDNAだから合致率は100%です。

母は通院していた歯科が残っていたし、祖母にはDNAを提供できる子ども(私のおじ・おば)が3人もいました。
不幸中の幸いだったと思います。


どうか、できるだけ多くの方がご家族の元に帰れますように・・・


1 件のコメント:

  1. SORAさん、こんにちは。
    初めてコメントいたします。
    私は、震災の日まで女川町清水町に住んでいたものです。
    家はなくなり、1週間ほど女川2小の避難所におり、その後、親戚の家を数週間ずつ転々とし、今は、石巻市内の家を借りて一家7人住んでいます。
    お母様とおばあさまを亡くされて、おつらいですね。
    幸楽さんでは、何度かおいしい焼肉をいただいたことがあります。
    私は、家族は全員無事だったのですが、海岸前の共同ビルに従姉がおり、まだ見つかっていません。
    隣のお店の「おじか」さんに聞いてみたところ、地震の直後、おじかさんと一緒に駐車場まで出てきたそうなのですが、その後はビルに戻ってしまったようなのです。
    しかし、その従姉とは同じ町内にいながら何年も会っておらず、どんな服装をしているか、どこの歯医者に行っていたか、アクセサリーをつけていたかどうかも分かりません。
    独身で、きょうだいもなく、両親も亡くなっているのです。
    辛うじて異母きょうだいの方がいらして、遠くからこちらに来ていただき、6月にDNA鑑定をしましたが、片方の(父親)分しかDNAが取れないので、難しいといわれました。
    同じ職場の人も、女川でお母さんが行方不明ですが、お母さんと双子の姉妹がいるので、その方のDNAを調べてもらっていますが、まだ見つかっていないようです。
    私も今度、ふれあいパークに行ってみようと思います。
    情報をありがとうございます。

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